稲田哲将 研究所

物語と歴史と視点


俺は猫が好きだ。

ある日、深江にある石積みの防波堤でお母さん猫が、釣り人の誰かから大きなボラをもらっていた。母猫は、それを嬉しそうに口にくわえて子猫のもとに向かっていった。魚が大きすぎるのでちょっとよたよたしながら。

しばらくして、防波堤の付け根に戻ると子猫達がボラに群がって人が近づいたことなどお構いなしにむしゃむしゃ食べていた。母猫は、それを少し離れて眺めていた。

母猫の子猫を思う親心をこの話からは感じる。

しかし、ここでふとボラの方にしてを変えると世界は全く違ってくる。おいしそうな餌を見つけて食いついたら針が口に引っかかりどんどん海の底から引きづり出される。ボラは必死にx抵抗したが針は外れない。しばらく抵抗したがとうとう力尽き水面へ引き上げられた。釣り人はなんだボラかと残念そうに言った。釣り上げられたその時考えた、子供たちのエサはどうしよう。子供たちに二度と会えないのかな~。

釣り上げられたボラは防波堤に寝かされると突然、激痛が走った。首が折られたのである。薄れる意識の中でたくさんの子供たちのことを心配していた。次の瞬間首にまた激痛が走り持ち上げられた。猫にくわえられたのである。ぶらぶらと左右に揺らされながら運ばれていった。お母さんボラはその途中で死んだ。

この話からは死にゆく母ボラの無念を感じる。

どちらの視点で世界を眺めるかによって物語は全く違ったものになる。

これは同じ現象を二つの側面から話したものである。片方の視点では猫は優しい母親。もう一つの視点ではお母さんボラを殺し、子供たちを路頭に迷わせる原因となった悪い奴である。