稲田哲将 研究所

「ヅーベット=別当」仮説を実証する|別当探し|道探し+脊振神社上宮訪問


今日は、前回ヤフオクで購入した昭和21年の地図を元に脊振神社下宮(田中方面)へ抜ける道探しと脊振神社上宮を訪問してきた。

詳細はこのページを更新する形で記述していきます。

■ヅーベット山の南側(白木)から北(田中)へ抜ける道の探索
坂本峠からヅーベット山へ向かう途中で白木集落のほうへ曲りヅーベット山登山口を目指した。今回の目的は、昭和21年の地図で見つけた白木から田中へ抜ける道の入り口を探すことです。白木側は、ほぼ想定された場所に軽自動車ぐらいならは入れそうな未舗装の道路がありました。そのまま、一周して田中林道のほうに回りました。こちら側で山から下りてくる道が無いかを探しました。道らしきものはあったのですが、確信が持てるものではありませんでした。
ちょっと休憩にと思ってヅーベット山北側の田中付近にある「春夏秋」というカフェに行ったのですがお休みでした。

■脊振山山頂を目指す。
そのまま、カフェから戻ってきて田中商店の先を脊振山頂方向に向かいました。ふもとから見ても山頂付近は雲に覆われているようでした。
登っていく途中で「多門坊跡」がありました。大陸から渡ってきたお茶は初めにこの近くに植えられ、その後、福岡の聖福寺に伝えられ、その後宇治に伝わったということです。

ジャビー氏の飛行機が墜落した記念碑の横を通り、山頂へ向かいました。

山頂で駐車場に車を止め、そこから脊振神社上宮へ向かって登り始めました。
自衛隊基地のフェンス越し出はありますが「役の行者」を見ることができました。看板は字が消えかかっていてよく読めませんでした。

役の行者

山頂の駐車場に書いてあった案内板を見てひとつ面白いことに気が付きました。
背振山山岳信仰の施設として土器山にある八天神社が挙げられていました。
先日発見した道を南下すると背振神社下宮⇒田中⇒ヅーベット山⇒白木⇒倉谷(倉谷神社)⇒八天神社(土器山)にいたります。脊振神社下宮から谷間を通ってほぼ最短距離で南下しているので修行をしていた人たちが通っていたことも可能性として考えられます。