稲田哲将 研究所

反省するとは何をすることか?


「なんでこんなミスをしたのか?」という無意味な質問が、人を無意味な葛藤のループに投げ込む。ミスをしたくてする人は恐らくいないと思う。それゆえ「なぜミスをしたのか?」と言われても理由はない。理由が考え付かないので黙っていると火に油を注ぐ。指導する立場としては、次の点を冷静に質問していくことが大切だ。 ミスの原因は、

  1. 知識と意識不足:ミスが小さいうちに気が付かなかったこと
  2. 知識と意識不足:ミスが小さいうちに修正を怠ったこと
  3. 心理態度:心構えが間違っている
  4. 心理態度:過信、慢心
  5. 心理態度:間違ったインセンティブ

などである。 間違ったインセンティブというのは、「一時しのぎで楽になる方を選択してしまう」、「ちょっとめんどくさい」、「自分で何とかすれば上司に怒られなくて済む」などの動機である。このミスをするときには、その手段を選択する時点でよりよい方法に気づいているが、何らかの心の障壁により間違った方法を選択することにより発生するミスである。そして自分も人のことは言えないが間違ったインセンティブによるミスは習慣化しているものである。 また、航空機業界のヒューマンエラーの研究によるとベテランも新人もミスの発生回数はあまり変わらないそうである。違うのはベテランがミスが小さいうちに気が付き修正できるためにミスが表面化しない点にあるそうです。 これらのことを考えると反省するとは、

  1. どの時点でミスが発生したことに気が付けるか。
  2. どこに気を配れば、ミスを発見できるか。
  3. そもそもミスが発生しないようにするにはどうすればよいか。
  4. その時何を間違って優先してしまったのか。
  5. 心構えのどこに問題があったのか。
  6. 正しい心構えは何か。

に気づくこと、正しい選択はどれなのかに気が付くことである。 指導する立場としては、

  1. どうすればミスに気が付けるか?
  2. どこで気が付いていればミスを防げたか?
  3. ミスの原因は何か?
  4. 原因が分かった場合どうすれば、原因を取り除くことができるか?
  5. 自分が人に指導する場合はどうするか?

上記の方法で分かるミスは、質問の仕方しだいでミスの再発を防ぐことができる。しかし一度注意しただけで二度とミスをしなくなる人にはであったことがないし、自分もできない。根気よく何度も注意する必要がある。 しかし、心構えが間違っている場合は、行動の修正が難しい。 そもそも、心構えが間違っている場合、

  1. 本人は気が付いているが触れられたくない。(劣等感、虚栄心)
  2. 本人は気が付いていない。(無自覚)
  3. 大切なことだと思っていない。(価値観のズレ)

などの原因がある。 そして、心構えについて指摘しても問題行動を変えることができるのは、「本人に受け入れる準備ができている場合のみ」であるということです。 何かがつながった時、昔言われたことが急にわかるという経験は誰にでもあると思います。それが待てればいいのですが、他の人に危険が及ぶような問題の場合は、いつか大きな問題が発生します。このような場合は、業務から外すことも含めて検討する必要があります。

■褒めれば伸びるは、本当か?
自分自身がそうだった(今も)ので偉そうには言えないが、叱るとへそを曲げて伸びない人がいる。むしろ心を閉ざし伸びてほしい方向とは別の方向に行ってしまう場合がある。 しかしながら、指導される側に心構えと教える側との信頼関係があれば、叱られても自分の行動を修正し伸びていく。

経験論だけではあるが、

  1. 叱って伸びる部分と褒めて伸びる部分は必ずしも同一のポイントではない。
  2. 叱って伸びるのは、その人が「意識していない自分の欠点」を正しく指摘し、それを見せる場合である。
  3. これは、「指導される側」の心が成長することに意識を向けていないと実現できない。
  4. 心の受け入れ態勢ができていない人には、全く理解できないか、余計なこととしか映らない。ひどい場合にはパワハラといわれる。
  5. さらに実は本人が気づいていて劣等感を持っている部分を指摘すれば逆効果になる可能性もある。(萎縮してしまう)
  6. また習慣になっていることが多く直すのにはかなりの時間がかかる。
  7. 正しい目的のためなら、嫌われてもいいから指導しないといけないことは存在する。

最近、教える側の心構えとして、山本五十六の次の言葉はとても大切だと感じます。

やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、

ほめてやらねば、人は動かず。

 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

自分は、まだまだ感謝で見守るレベルには達していません。少しずつ感じるようにはなってきていますが。。